デューン 砂の惑星PART2 - レビュー

砂漠、そして力

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前作『DUNE/デューン 砂の惑星』が公開されたときにインターネット上の情報を見ていた人なら、「大人向け『スター・ウォーズ』」と形容するコメントをいたるところで目にしたはずだ。「デューン」から「スター・ウォーズ」に、そしてまた「デューン」に……という“サンドワームのウロボロス”的な影響に対する指摘はさておき、惑星間の帝国と反乱を描いたフランク・ハーバートの小説をドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映像化する手つきには、ピーター・ジャクソン監督が手がけた「ロード・オブ・ザ・リング」三部作との共通性がより強く感じられる。「ロード・オブ・ザ・リング」の映画シリーズは、濃密で扱いにくい文学の神話を、とっつきやすく革新的で壮大な作品に変え、長く愛され続けている。そういった点においては、『デューン 砂の惑星PART2』が成し遂げたストーリーと壮麗さの大幅な拡張は、同作を2020年代の『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』として位置づけるといえるだろう。本作はそのように中間的な立ち位置の作品として、原作の奇妙な部分をさらに強調しつつ、魅力的で確固としたアイデンティティを維持することに成功している。

『デューン 砂の惑星PART2』は前作のラスト、ハルコンネンがアトレイデス家を壊滅させた直後から始まる。父親に代わって惑星アラキスの公爵となったポール・アトレイデス(ティモシー・シャラメ)と、彼の母親レディ・ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)は、砂漠の惑星の原住民フレメンの人々の中に身を隠している。からくも死を逃れたハルコンネン男爵(ステラン・スカルスガルド)は、スパイス収穫の支配を再開するためにすばやく動く。ストーリーはそこから、戦争、陰謀、運命といった要素に枝分かれしていく。

ポールが巻き込まれていく新たな神話や宇宙の政治は目まぐるしく動き、時に追うのが難しくも感じるが、ヴィルヌーヴと共同脚本家のジョン・スペイツは、スムーズかつ効率的なやり方で、常に最も重要な情報が押し出されるようにしている。なにしろこの映画は、ワーナー・ブラザースのロゴが出てくる前からスパイスの重要性を強調してくるのだ。スパイスは、この未来世界の経済において最も重要なものであることを忘れてはならない、と。そしてそれは、ハルコンネン男爵が自身の一族の権力を強固にしようとする野望とともにある。ポールが反撃に成功し、フレメンにとっての救世主的な存在として台頭できるかどうかは、彼が運命の名のもとにどれほどの犠牲を払えるかにかかっている。シャラメは今回、よりダークな物語を通して、預言者クイサッツ・ハデラックの素質が引き出されていく過程を見事に演じている。

強い信頼で結ばれた母親のジェシカや、師匠のガーニイ・ハレック(ジョシュ・ブローリン)といった人々とポールとの間にある緊張関係は、『デューン 砂の惑星PART2』のストーリーにおいて世代間の断絶を強調する役割を果たす。フラストレーションを溜めるシャラメの演技は、さらに大きな対立に向かって危機が高まっていく流れとうまく調和しているように感じられる。特にポールとジェシカの間の関係性が悪化していく過程には興味深いものがある。ジェシカは今回、前作よりもはるかに重要な役割を果たすキャラクターとなっており、作中でも最もシュールないくつかのシーンにおいて、自身が持つベネ・ゲセリットとしての能力の限界を試そうとする。ポールとジェシカが自らの可能性を十分に理解するにつれ、2人の距離は離れていく。「デューン」は確かに大きな感情を扱う作品だが、そこには静かな悲劇があるのだ。

前作ではほとんど夢のシークエンスにとどまっていた感のあるチャニ(ゼンデイヤ)だが、今作ではようやく中心的な存在となった。彼女がポールをリサーン・アル=ガイブ(ベネ・ゲゼリットによってフレメンに約束された救世主)として認めようとしないのは、そこに社会的な力学が大きく働いてることの象徴である。惑星アラキスの南方に住むフレメンが熱狂的な信仰を持つのに比べ、スティルガー(ハビエル・バルデム)が率いる北の部族はより世俗的なのだ。それでもフレメンは帝国に抗うために団結しなければならないが、チャニが払う犠牲と妥協はストーリーを常に地に足のついたものにしており、ゼンデイヤのストレートでかたくなな演技がそこに一役買っている。

こういった予言や運命の話だけで166分間が進んでいくというのはかなり退屈に思えるかもしれないが、その心配はいらない。ヴィルヌーヴは、『デューン 砂の惑星PART2』のどこに素晴らしいアクションシーンを入れればいいかを正確に把握している。スパイスハーベスターが攻撃を受ける序盤のシーンは、大いなる対立の縮図を描く絶好の機会を監督に与え、ここではフレメンの専門知識と順応性が、技術的なアドバンテージに勝るようすが驚くようなやり方で描かれている。ヴィルヌーヴは、本作の豪快な場面にも精神的な機微を描く部分にも等しく細部へのこだわりを見せており、バトルや決闘をスリリングに演出しながら、その中で人間ドラマを語ることも忘れない。ポールが初めてサンドワームに乗るとき、勝利と同時に不吉な予感を抱いてしまうのはそのためだ。ヴィルヌーヴは、勝負に勝つことと戦争に勝利することは別物だと観客に絶えず思い出させる。そして、ポールのフレメンに対する影響力の増大は、映画が進むにつれてますます諸刃の剣のように感じられてくる。

ラッバーン(デイヴ・バウティスタ)はスパイス収穫の指揮を執っているが、彼は口ばかりで行動が伴わないとわかると、ハルコンネン男爵はラッバーン以上に冷酷な甥のフェイド=ラウサ(オースティン・バトラー)に目を向けるようになる。ハルコンネン家のこの若者は、古代ローマの剣闘士を思わせる戦いの場面で荒々しく登場するが、その戦い方と相手ののどをかき切る衝動的な行動を見れば、このキャラクターについて知っておくべきことはすべてわかる。実際に、このシーンの中にすべてが含まれてい��のだ。フェイド=ラウサは、ポールにとっての闇の鏡像として意図された存在であり、それはポール自身がこうなりたくはないと恐れる指導者の姿だが、本作がこのキャラクターを描き込むのはそこまでである。演じるバトラーの獰猛な身体性といかにも“スカルスガルドな”声質は、ハルコンネン家のアイデンティティを巧みに表現しているが、フェイド=ラウサ自体は、ほかのキャラクターたちに、ひいては脚本そのものに資するための道具になってしまっている。

『デューン 砂の惑星PART2』で新たに加わったもうひとりのキャラクター、皇女イルーラン(フローレンス・ピュー)についても同じことがいえる。父親である皇帝シャッダム四世(クリストファー・ウォーケン)の助言者として、イルーランの登場シーンは帝国の権力のバランスが不安定であることを見せるための機能を持っている。シャッダムは衰えた、優柔不断なリーダーとして描かれており、それによってイルーランを事実上の権力者である���うに感じさせる余地が生まれる。しかし、彼女と年長者たちが議論を交わすシーンは、アラキスにおけるアクションや現場目線の描写と比べて迫真性に劣る。フレメンとハルコンネンの追跡劇や、救世主の到来について交わされる熱い議論、レディ・ジェシカの企み……こういったシーンは不吉さや重みが感じられるもので、かつ非常に堂々と描かれている。そのため、帝国がようやく砂漠の惑星に到着する頃には、彼らは本来意図されているであろうよりも脅威が薄れ、ちょっとずれた存在に感じられてしまうのだ。

しかし、『デューン 砂の惑星PART2』のストーリーがあなたをどこへ連れて行こうとも、信じられないほど見事なプロダクションデザインには心を奪われてしまうことだろう。最上級のクオリティ、かつシームレスなプラクティカルエフェクトとビジュアルエフェクトの融合が、現実とかけ離れた世界を生き生きとした、実在のもののように感じさせる。ヴィルヌーヴは、スパイスのキラキラとした見た目や幻想的で温かみあるトーンなどを使いながら、砂漠の惑星アラキスの地表をさまざまな方法で表現し、その雰囲気を高めている。一方、ハルコンネンの惑星ギエディ・プライムにおけるフェイド=ラウサの登場シーンには長い時間がかけられているが、それにより、ヴィルヌーヴと撮影監督のグレイグ・フレイザーは、本作のビジュアルスタイルに揺さぶりをかける口実を得た。スペース・ブルータリズムとでもいうべき建築物とモノクロの色彩は、ハルコンネンの持つ力を即座に、そして強烈に表すものであり、まるでその力は光の屈折の仕方まで変えられるとでも言わんばかりだ。『デューン 砂の惑星PART2』は長時間にわたる集中力を必要とする映画かもしれない。だが、画面から視線を外すことはほとんど不可能である。

こうしたことのすべてが、特に満足のいく形で解決しないことには驚くかもしれない。フランク・ハーバートによる小説1作目の映像化は多かれ少なかれ本作で完了しているが、映画としては明らかに三部作の第2部という位置づけになっている。確かに、前作の『DUNE/デューン 砂の惑星』ほど唐突な終わり方はしないものの、ポールが断片的に見る未来のビジョンや、ジェシカが残す不吉な言葉の数々は、この先にさらなる宿命的な戦いが待ち受けることを約束するものである。本作における最終決戦が佳境に入る頃には、まだ処理されていないプロットや十分に掘り下げられていないキャラクターの存在から、この作品ですべてを終わらせるのは無理だろうということがわかってくる。ヴィルヌーヴは観客の忍耐に応える以上の仕事をしているし、この三部作が完結しても、その感覚が薄れることはないだろう。とはいえ、今はまだその途中なのだ。オリジナルな手法で描かれた、あらゆる強みを持つ作品である。だが一方で『デューン 砂の惑星PART2』の砂漠のパワーは、エンドクレジットが流れる頃にはやや薄れ始めてもいた。

総評

『デューン 砂の惑星PART2』は、ポール・アトレイデスの伝説を壮観なスタイルで拡張する作品だ。惑星アラキスでの戦いは、ほとんどすべてのシーンが印象的で神秘的なものとなっている。ドゥニ・ヴィルヌーヴは、徐々に濃さを増していく「デューン」の神話に観客がついてくることを全面的に信頼し、巨大なサーガをきらびやかでわかりやすい大作に変えることで、「PART2」を五感への挑戦として仕上げてみせた。その世界観構築の深さのために、新たに登場するキャラクターの描写不足という犠牲を払わなければならなくなっているところもあるものの、『デューン 砂の惑星PART2』が総体として観る者を飲み込む力は否定しようがない。

※本記事はIGNの英語記事にもとづいて作成されています。

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デューン 砂の惑星PART2

Legendary Pictures | 2024年3月15日

『デューン 砂の惑星PART2』レビュー 2作目としての弱点もあるが、観客を飲み込む圧倒的な力は否定しようがない

8
Great
圧倒的に壮観なビジュアルを描き出す『デューン 砂の惑星PART2』は、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督によるSFサーガの中間に位置づけられた作品として、観る者を釘付けにする映画となっている。
デューン 砂の惑星PART2