CrossCode - レビュー

かつてのMMOが約束していた最高の体験を、すべてのプレイヤーに

MMOが約束していた最高の体験を模したインディー超大作RPG『CrossCode』レビュー
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ゼロ年代初頭から後期にかけて隆盛をきわめたマッシヴリー・マルチプレイヤー・オンライン(MMO)の衰退には、おもにふたつの原因がある。レベリングに重点を置いた戦闘システムのために、ほとんど苦痛を伴うグラインディング(レベル上げ)がプレイヤーに要求され、コマンド入力の楽しみが損なわれてしまったこと――どんなにうまくデザインされたレイドボスでも、何度も繰り返せば退屈になる。もうひとつは、現実と虚構の境界面が混濁し、プレイヤーたちがロールプレイとリアルのはざまでどのように行動し発言するべきか、戸惑ってしまったことだ。

はたして、この剣と魔法からなる夢の世界に、現実世界のあなたのパーソナリティを持ち込むべきなのか

しっかりと言葉にして問いを発したことはなくとも、私たちはみな、根源的な疑問とともにあの世界にいた。はたして、この剣と魔法からなる夢の世界に、現実世界のあなたのパーソナリティを持ち込むべきなのか。もちろんここにはひとつの明確な答えはない。イエスでもあるだろうし、ノーでもあるだろう。

いずれにせよあなたのフレンドリストには、毎日だいたいおなじ時間にログインして、おなじ時間にログアウトしていく友人がいたはずだ。これは避けがたいことだった――たとえ彼が彼の現実世界での生活について一言も口を割らなかったにせよ、彼が実際にはこの夢の世界だけに暮らしているわけではなく、禍根と労苦にみちた現実世界の住民でもあることは、誰の目にも明らかだったのだ。

だからこそ私たちは、延々とつづくかと思われるレベル上げの行程のなかで、パーティーを組んでいる仲間たちから、彼ら自身の素性が思いがけず語られることを密かに期待していた。どんな人間でもかまわないから、なにかひとつの確固たる存在であってほしい。きらびやかな装備やギルドマスターの称号に飾られたこけおどしのグラフィックではなく、その内側になにかしらの意志を秘めた「個人」であってほしい。そうした願いがときに成就し、ときに叶わなかったこと――この経験のランダム性そのものがMMOを隆盛せしめ、また衰退させもした。

けっきょく人々は、ゲームプレイに、約束された確固たる美的褒賞をもとめていたのか? ある種の創発型ゲームにあらわれる「Player experience may vary(プレイヤーの体験は異同します)」の但し���きは、開発者による怠惰な言い訳にすぎないのか? 答えがどうであれ、ある種のマルチプレイ・ゲームが人間という究極のランダム性を抱えている以上、あるひとりのゲームプレイがたまたまお話にならないほど退屈で、べつのひとりのゲームプレイが、それこそ夢の世界から帰ってこられなくなるほど楽しいものであることは、充分にあり得た。これこそがMMOというジャンルの二律背反、欠点と長所なのであった。

MMOというジャンルが抱えていた欠点と長所を、アクションRPGのフォーマットであらためて描き出した

その意味で『CrossCode』は、異同しないプレイヤーの体験によってMMOというジャンルが抱えていた欠点と長所を、アクションRPGのフォーマットであらためて描き出した、意欲的な作品である。これは「VRMMO」という約束事のもとで、「他者」というランダム性を前もってスクリプトに書き込みエミュレートしたシングルプレイヤー・ゲームなのだ。

ここにはリアリティの境界面に草を生やして汚染するようなキッズもいないし、また、あなた自身が不注意な発言をして世界観を壊すおそれもない。なぜならば、あなたの操る主人公レアは、音声モジュールの機能障害と記憶喪失、そして現実世界における昏睡状態によって正常なコミュニケーション能力を失い、ログアウトして散歩をする自由を失った、VRMMO世界のなかでのみ生きられる、さまよえる魂だからである。

ゲームのストーリーラインと目的はじつに単純である。主人公レアを操作して、失われた記憶を取り戻し、それにともなって現実世界の昏睡状態から目覚めること。そのためにもっともよい方法は、ゲームをプレイすることである。

「クロスワールド」とよばれるこのゲーム内ゲームの世界のなかで、レベルを上げ、さまざまな場所を訪れ、ほかの「プレイヤー」との交流をもち、その経験から過去を思い出すことである。そして、なによりも重要なことなのだが、これらの体験は、すべてのプレイヤーに約束されている。あなたが操るレアはほとんど話すことができないにもかかわらず、快く迎え入れてくれる「パーティーメンバー」に事欠かないし、「ギルド」に所属して連帯の感覚を得ることもできる。ごくふつうの「プレイヤー」にはなかなか手に入れられない装備や、真実をもとめて「ゲーム」のシステムの外側に出るといった冒険さえも用意されている。これらの基本的演出は、もはや夢の世界であるはずのMMOにおいてすら他人となじめなかったあなたを、ともすると泣かせるかもしれない。

戦闘の美しさと快楽は歴史的名作『Hyper Light Drifter』に比する

繰り返すが、これはシングルプレイヤー・ゲームだ。だからあなたのゲームクライアントは、プレイにあたってサーバ���とのシグナルの送受信を必要とせず、あなたのコンピュータの内部で完結する。そのために他者性の現れが、かつてのMMOのように、ときどき不快になる――といったことはあり得ない。他者性はすべて演出されているのである。そしてまた、シングルプレイヤーであるというおなじ理由によって、すべての戦闘は技術的制約から解放され、ラグはなく、アニメーションは水銀のようになめらかで、戦闘の美しさと快楽は歴史的名作『Hyper Light Drifter』に比することさえできる。

多彩な敵から繰り出される攻撃やガードといった純粋な戦闘の楽しみは、ゲームが進行するにつれてアンロックされていく「エレメント」によって、すばらしい勾配で難易度を上げていく。最終的には炎、氷、波動、電撃の四属性となるエレメントのいずれかがそれぞれの戦闘の局面を切り開く鍵となり、プレイヤーは白熱する戦いのなかで、冷静に攻略法を見極めていく。コントローラーでの操作で敵の攻撃をかわしながら、同時に頭を使ってパズルを解く能力を要求する戦闘メカニクスは、スポーツに例えるなら、チェスボクシングがもっとも近い。

メインストーリーの要所に配されているダンジョンもまた、チェスボクシングめいている。というか、チェス、チェスボクシング、ボクシングのスペクトラムを心地よく行き来する。一見してまったく解法がわからない詰め将棋をじっくりと腰を据えて解く部屋、解法はわかっているのだが最後のスイッチを押すために高度なコントローラーさばきを要求する部屋、そして純粋な戦闘が用意されている部屋などなどだ。ボス戦にいたっては、これらすべての要素が有機的に結びつき、クリアののちにはあなたの手は痺れ、頭は心地よい知恵熱に満たされていることだろう。

また、4つのエレメントがレベリングによって次第に成長し、あらたなスキルが解放されていく喜びには、こたえがたいものがある。特定のエレメントをもちいて強敵の弱点を露出させ、属性強化を無効化したのちにたたき込む、あなたのスキルセットのうちもっとも強力な一撃の、洗練されたアニメーションと等比級数的に増加していくダメージ・カウントによって演出される目眩は、まちがいなくあなたの現実を忘れさせるほどの威力をもつ。

マップのテーマはクリシェだが、その内部構造はクリシェではない

ワールドマップは多彩かつ広大だが、そのテーマのバリエーション自体は平原、高山、砂漠など、むしろクリシェである。しかしながら、これは「クロスワールド」というMMOゲームのプレイフィールドである、という約束事のもとにデザインされた結果にすぎないし、そこらじゅうを忙しく行き来するほかの「プレイヤー」たちが砂漠エリアの気温設定の容赦なさを揶揄したり、雪に閉ざされた高山の寒さを嘆いたりする台詞によって、ユーモラスな印象を与えてもくれる。そして言い添えておかねばならない、マップのテーマはクリシェだが、その内部構造はクリシェではない。

あるひとつのメカニクスが最高の複雑さをゲームに与えている――パルクールだ。プレイヤーキャラクターは崖にむかって走り続けると崖からジャンプするのだが、これがパルクールの楽しみをもたらすと同時に、またしても謎解きの快感を与えてくれる。というのもプレイフィールドの各所に用意された「自動生成」の宝箱は、たいていの場合どこか高所に配されており、そのまま直進して手に入れられるようなものはない。マップのべつの場所にあるちょっとした階段を上り、高いところに乗ったあと、飛び移れるおなじ高さの崖をどんどんパルクールしていって、もとあった宝箱の場所に戻っていく。その道筋はわかりやすいものではない���、かといって見つけることは決して不可能ではないのだ。

この行程のために、二次元のマップのなかに擬似的な三次元の要素が追加されていて、個々のマップがその見かけの数十倍の複雑さを獲得している。どうしても手に入れたい宝箱のために、筆者はあちこちを駆け回り、隠されたピクセルの影を探し求めて、いったい何時間を費やしたことだろう。そうして開いた宝箱のなかに「レジェンダリー」クラスの武器が入っていたときの喜びには、ちょっとこたえがたいものがある。

延々と繰り返された最高の寄り道があなたの能力を充分に強化し、ときに初見でボスを撃破することさえ可能にする

ほんもののMMOにおいては、なにせレアリティそれ自体が全プレイヤーの総数から割り出されるものだったから、喉から手が出るほど欲しかったあの武器を手に入れることは、とても難しかった。いや、難しいというより、それこそ非人間的なグラインディングを前提としていた。しかしMMOの皮を被ったシングルプレイヤーである本作は、私たちの羨望の的であったあの武器を、より少なく、何十倍も楽しい努力によって、実際に獲得することができるのである。はたして、こんな贅沢が許されていいのだろうか。

こうして延々と繰り返された最高の寄り道があなたの能力を充分に強化し、ときに初見でボスを撃破することさえ可能にする。この歯ごたえのなさを揶揄する向きもあるかもしれないが、むしろ繊細に描かれたボスのグラフィックとアニメーションをたった一回の挑戦で攻略できてしまうことは、やはり贅沢と言うべきだろう。そしてまた、これはシングルプレイであるからこその難易度なのだが、ボスの攻撃はかなり避けがたいものであるとはいえ、攻撃パターンを読み、すべてをかわすことで、低レベルでクリアすることも不可能ではない。

クリエイターがデザインしたレベルに達していないと挑戦できなかった様々なレイドボス、つまり絶対に絶対に避けられない攻撃がボスの行動シークエンスの一部に用意されていて、そこでレベルが満たないとダンジョンから強制的に排除されるというような、過去の駄作MMOに見られたような意地悪なデザインではない。本作はむしろ、そういったプレイヤーの挑戦を快く受け止めるだけの度量をもっているし、つぎのスクリーンショットで見られるように、そのような制限を、むしろ正当なビデオゲーム的表現によって打ち砕こうとする試みさえ行われている。

どうしてここまで細心にゲームを作ることができるのだろう

ため息が出るほどの懐の深さなのだ。どうしてここまで細心にゲームを作ることができるのだろうと感心する。新しいマップに切り替わるたびに現れるあらたなパルクールのための地形、注意深く現実の歴史的重みを廃している(思い出してほしい、これは「MMO」なのだ)マップ全体のテーマ。

ゲームのあらゆる段階であなたは様々な目的――あの武器のための素材がほしいとか、あるひとつのクエストを攻略したいだとか、あの不思議な神殿への鍵を手に入れたいだとか――に誘われて走り続けるが、それらを支えるグラフィックと音楽と戦闘は、近年まれにみるほどの美しさである。

とくに筆者が感心したのはラストダンジョンの謎解きとボス・バトルで、これはいままでにプレイヤーが培ってきたゲーム・センスを真正面から審問にかける難易度だ。遅れている本稿の締め切りを気にして、徹夜でのプレイから続けてダンジョンに入った筆者は、あまりのパズルの難しさに苦悶の叫び声をあげてコントローラーを放り出し、避けがたい睡眠をとった。このようなことが起きるのはじつにめずらしい。もちろん、快眠のあとの三時間の戦いでダンジョンを攻略することはできたが、とにかくどんなにパズルに自信がある者でも、どこかで詰まってしまうことは確実だろう。もちろん、その詰まりも楽しい体験ではあるのだが。

精細を欠くのがサイドクエストだ。ここで用意されているテキストもまた、この世界そのものがMMOであるという約束事に基づいて書かれているために、おそらく意図的にクリシェな語りに仕上げられている。進行にともなってクリシェの裏をかこうとしているのは確かだ――失踪したヤギを追いかけているうちに、ヤギをマインド・コントロールして世界征服を企てている科学者と戦う。重たいビートを凍りついたフロアにドロップしつづけているペンギンのDJと踊り狂う――等々の、印象的なものもある。しかし単純な「お使いクエスト」が、それが皮肉めいた冗談かどうかはべつにして、我々がふつうに思うような「お使いクエスト」のまま残されているところもあって、これは「The Elder Scrolls」シリーズや「Fallout」シリーズををとっくの昔に体験してしまった我々にとっては、すこし歯ごたえが足りないかもしれない。

私たち人類が誇る「MMO」というジャンルに対する批評眼が欲しかった

メインストーリーは問題なくきれいにまとまっているが、主人公レアとともに「クロスワールド」をプレイすることになる仲間たちの掘り下げが足りない。彼らがそれぞれのリアルの生活を理由にログアウトし、MMO世界のなかでしか生きられないレアがひとり残されるパートなどは美しい。しかし仲間たちが現実世界で置かれている環境が、けっきょく詳細に語られることなく終わってしまうため、深い意味で彼らが信頼を育むことができたのかどうかが、子細に描かれないままとなってしまう。

たしかに現実世界のことについて安易に触れないのは当時のMMOのマナーだったかもしれないが、これだけの大冒険を繰り広げておきながら仲間たちの素性や彼らをとりまく環境がわからないままであるのは物足りないし、そもそもこの「MMO」が約束事にすぎないのであれば、「仲間たちの素性が明かされないこと」もまた約束事にすぎないのであって、この間隙をもうすこし積極的に突いていれば、よりストーリーにも深みが出たはずだ。この部分だけが本作の評点を最高得点から遠ざけている。せっかくのテーマなのだから、もうすこし、あともうすこしだけ、私たち人類が誇る「MMO」というジャンルに対する批評眼が欲しかった。

長所

  • チェスボクシング的戦闘メカニクス
  • ダンジョンの挑戦的な謎解き
  • 最高のグラフィックスとアニメーション演出
  • 「MMO」という約束事とその応用

短所

  • キャラクターデベロップメントの薄さ
  • いくつかのサイドクエストの冗長性

総評

傑作。隠された宝箱をもとめて走り、サイドクエストを進行させ、ときにダンジョンに何時間もこもり、雑魚敵から素材をあつめ、街々の隅々までを調べ尽くし、美しいグラフィックに息をのみ、白熱する戦闘に夢中になるうちに、プレイタイムはあっという間に40時間を超えていた。達成率はそれでも70パーセントだ。もちろんメイン・ストーリーだけを効率よくクリアすれば、おそらくこの半分の時間でもクリアできるのだろうが、そうするにはあまりにももったいない種々の寄り道が数え切れないほど用意されていて、筆者はこのレビューを正式リリース日に合わせて書くことを断念するほどだった。自分がなんの責任もない大学生かなにかでないことを心から悔やませるゲームは、本作のほかにおいてちょっとない。もしも私がゲームライターでなかったら、この豊穣かつ複雑な世界に少なくともあと百時間くらいは投じてから、ペンを取っていただろう。

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CrossCode

Radical Fish Games | 2018年9月20日
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MMOが約束していた最高の体験を模したインディー超大作RPG『CrossCode』レビュー

9.5
Amazing
『CrossCode』はそれ自体が完結した、プレイヤーの体験が異同しない「MMO」のエミュレーションであり、MMOの弱点をシングルプレイの洗練されたアクションによって解決し、MMOが備えていた叙情性という長所を非常にうまく応用している。
CrossCode